親の病気…に込められた“目覚めのサイン”
- 日向野 泰子
- 4月17日
- 読了時間: 4分
更新日:4月19日
私の両親、80を超えまして
リアルに衰え出してて
かなり驚いてます。
先日母の左目が急に見えなくなったと
大学病院の紹介状を持って出かけました。
かなり混雑するとの噂で
朝6時に家を出て、、7時着。
それでもロビーには何人も居ましたよ。
目の病気、、というのにも
実は心理的な理由が存在するのですが、、
それはまた、
別の機会に。。
ということで、、⬇️
今回
私は
つくづく思ったよ。。
私はこうやって
恩返しをしてくんだなと。
何を隠そう、、
私は子供の頃から
親が大嫌いでした。
正直
勝手にシんでくれと思ってましたから。
ところがキネシオロジーに出会い、
ま、出会った当初は
自分の頭皮湿疹の解明に明け暮れたのですが
それと並行して
私の親への怒りが浮上してきたわけです。
もちろん許す気なんてさらさらない。
プリプリしながら
顔を突き合わせること何十年??
キネシオロジーに出会ってから
16年ですが、
その間も(それ以前も)
親に対する気持ちは
乱高下してました。
が、、
先祖系の問題を解明した時に
ついに!
というか
ようやく…
父の孤独を理解し、
母への誤解が解けた。。
って感じになりました。
母への誤解とは
お母さんはいつも私のことを
…
コントロールしてきやがる💢
過剰に心配してきやがる💢
勝手に決めつけやがる💢
話聞いてくんない💢
自分の意見を押し通してきやがる💢
常識に当てはめやがる💢
無関心なことはマヂ無関心💢
みたいにおもってたんですが
母は、、本当に、、
純粋で
疑うことを知らないひとだった!
ことを知ったんです。。
だから
悪気ない。
知ってることしか信じない。
親という常識でものを言ってくる。
母の中では
全て正しいことを私に伝えようとしていた、、だけ。だった。。
私がそれを望んでなかったし、
私は母の考えに同意してなかっただけなんですわ。。

ここまで50年かかりましたよ、、
キネシオロジーに出会ってなかったら
絶縁状態だったかもしれない。
これが腑に落ちてからは
母とも
スピリチュアル系の話を
スムーズにできるようにもなったし、
目が見えなくなった心理的理由についても
話し合えるまでになりました。
母と
ようやく
意思の疎通ができるようになった。。
これは私にとって
大きな進歩なのですが
こう、大病院に連れてくとか
追々介護ともなると
私はノーサンキューなんですよ。
本音でね。
でもね、
やっぱり親子は親子なんです…
やりたくなくても
関わることになる。
関わらなくても
血のつながりがある限り
生命エネルギーは引き継いでいるのです。
なぜ、縁を切ったつもりでも
繋がっているのか。
それは
親とは
自分にとってのスタートラインだからです。
地球に降り立った時の拠点で
自分に食べ物や基準というものを与えてくれた人たちだから。
地球にやってきた赤ん坊は
親がいなければ
即、撤退となってしまうわけで
恩とかではなく、
物理的に
居なくてはならないキーマンなのですよね。
そうは言っても
この記事の趣旨としては
みんな親と仲良くしましょう!
ってこと言いたいのではなく
(できれば最高ですが)
親の病気などを通して
さらに自分を向上させることができるんだよ!という部分をお伝えしたいのです。
親が病気になった時、
自分はどう振る舞っているのか。
自分はどう感じているのか。
を
自ら知るチャンスであるということなんです。
私は
親連れて病院へ行くことになった時、
口ではめんどくさ!と言ってる割に
あー、
私はナニゲに親孝行してるのかも?
と思いましたよ。
親孝行してこなかった自分を
知るきっかけになりました。
だからなんなん?って話かもしれませんが
多分、
今こう、
めんどくさいとおもってるけど
私のためにやってるのかもなと。
勝手にシんでほしいと思ってた私は
どこ行った?
ってくらい自分に驚いていますよ。
もう親が他界されている場合でも
会えない会わない関係性でも大丈夫。
直接は話せなくても
最初申し上げたとおり
生命エネルギーは引き継いでいるので
例えば
親のことを
自分はどう捉えているか。。
と
思いを馳せるだけで
自分の中心であろう魂に
光が当てられる状態になります。
そこから
思い出が溢れてくることもあるかもだし
懐かしさ
恋しさ
憎しみや悲しみなんかもあるかも。
ポジティブネガティブ関係なく
自分の中が活動を始めるんです。
それが!
重要なんですよ☆
ネガティブな思いが
なかなか晴れない場合は
キネシオロジーセッションで
丁寧に解放することもできます。
忘れていた喜びなんかがひっぱり出されたら
それは今後の活力となります☆
日常に追われていると
ついつい後回しになりがちな親のこと。
親が病気になった時は目覚めのサインかも?
というのは
そういう意味なのでした☆
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